鶴見は明治二十年に府立の中学に入校した。中学の校舎は木挽町《こびきちょう》の歌舞伎座の前を通り過ぎて橋を渡ると直ぐ右角の地所を占めていた。かれが出養生をしていた塩湯とは堀割を隔てて筋向いになっている。
 鶴見はもう幼年期を終って立派に少年時代に入る。独楽《こま》や凧《たこ》や竹馬《たけうま》や根《ね》っ木《き》やらは棄てられねばならない。鶴見はそのなかでも独楽は得意で、近所の町屋の子や貧民の子らと共に天下取りをやった。その外にめんこもやった。とんぼも追いかけ廻した。殊にとんぼには興味をもっていた。どうしてそんなに沢山いたかと思われるほど、とんぼが飛んでいた。種類も多かった。しおからやむぎわらは問題にならない。虎やんまもいたし、車やんまもいた。そしてそれを珍重がっていた。虎やんまは往来を低く飛んできて、たちまちのうちにもち竿《ざお》の陣を突破してしまう。虎やんまの出るのは主《おも》に日盛りの時分である。なかなか手におえぬところに次の機会が期待される。車やんまというのは虎やんまに似ていたが尾の先に車の半輪のような格好をした鰭《ひれ》がついている。特性としては、物干《ものほし》の柱に立て
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