開設当時に贈られた蒼海翁《そうかいおう》のあの雄勁《ゆうけい》な筆力を見せた大字の扁額《へんがく》を持ち伝えていた。鶴見が幼い観察から、急傾斜になっている海面にひっくり返りもせずに小蒸汽船の動いてゆくのを見たというのは、その塩湯でのことであった。木挽町の塩湯はいわばその分身のようなものである。越後長岡の出で、どういう因縁のあってのことか、左団次|贔屓《びいき》の婆さんが頭《かしら》だって切り廻していた。場所柄でもあり、また婆さんの趣味も加わって、築地辺に住んでいる名うての俳優の家族などにもその宣伝がきいたと見えて、その連中が常連として入浴に出掛けて来る。そう聞かされて見れば、子供心にもなるほどとうなずかれる。流し場の隅に積み重ねてある留桶《とめおけ》のなかで三升《みます》の紋《もん》などが光っていたからである。
 西岡の若い未亡人はその塩湯の奥座敷を自分の部屋として占めていた。縁側《えんがわ》寄りの中硝子《なかガラス》の障子《しょうじ》の前に文机《ふづくえ》がかたの如く据えてある。派手な卓布がかかっている。その一事のみがこの部屋の主人の若い女性であるのを思わせている。筆立には二、三本毛
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