げているのは継母の手を借りた人生の世智辛《せちがら》さであるということが、追々に納得が出来るようになる。人心の機微を察するということも、こうしているうちに、見当がつくようになる。鶴見にはそれだけの変化が起った。
 継母は継母らしく振舞ったのである。鶴見はそう思って、別段に悪感情も懐《いだ》かずにじっとしていた。
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  宿命的孤独と自由



 まだ中学に入らぬ少し前のころであった。多分明治十九年も押詰まった暮のことであったかと思う。その年ひどく流行した麻疹《はしか》に感染して、一応はどうやら癒《なお》ったものの、病毒が廻って全身に吹出物《ふきでもの》を生じた。薬湯《くすりゆ》に連れて行くにもあまり見苦しいので家人も億劫《おっくう》がっていたところ、西岡という若い未亡人が来て、自分の遣《や》らせている塩湯はどうだろうと勧《すす》めてくれた。家人のためには渡りに船であった。
 塩湯というのは京橋|木挽町河岸《こびきちょうがし》にあった。そんなわけで鶴見はさっそくそこへ遣られた。出養生《でようじょう》である。幼少の鶴見にとっては、これが家庭以外の世間というものにはじめて触れて
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