い出される。菜園にはまだ雪が消え残っていたのである。
その翌十六年には、父が生母を離別した。鶴見がためには大きな生涯の変動が生じたのである。たまたま国から上って来た姉も貰い泣きをした。母の引き取られていた家へ二人で行くことを、さすがに厳しい父も、一度は許してくれた。その家は芝|明舟町《あけふねちょう》の路次《ろじ》の中にあった。左手は上り口で、右手には勝手の明《あか》り障子《しょうじ》が嵌《は》めてあって、それに油で二重の波形の模様が描いてある。そんな家である。二人はそこで泣き通した。
幼時の記憶はとかくはっきりしていない。そこには一貫した糸も見えず、連続した関係もうまくたどれない。ただそれが思量の或る一角に置かれた時、結晶体に予想せられるように、その一部分がどうかすると、ふと強い光を放つことがある。それだけである。もしこれがアナトオル・フランスであったなら、こんな幼時の些少《さしょう》な砕《くだ》けた感動の種子からも、丹誠して見事な花を咲かせたであろう。鶴見は気まぐれにも、ここでそんな考を運《めぐ》らして見た。アナトオル・フランスの幾巻かを成す幼年物は、晩年も晩年、老熟し切った
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