。どんな恐しい星であろうか、臆病な鶴見はついに見ずにしまった。そのころのことである。島原の新富座《しんとみざ》で西郷隆盛の新作の芝居が打たれた。あれは多分|黙阿弥《もくあみ》の脚色に成ったものであったろう。連日の大入であったそうである。この芝居へも母に連れられて見に行ったものの、平土間《ひらどま》はもとよりどの桟敷も超満員で、その上に入り込むだけの余裕がない。なんでも座頭《ざがしら》の席とかで、正面の高いところへ無理に押し上げられた。そこまでは幽《かす》かにおぼえているが、印象はそこで消えて、その先は思い出せない。その代りここまでくると年代はよほど明かになる。この芝居も折から来朝中の米国大統領グランド将軍の観覧に供えたものという。もしそうとすれば明治十二年である。果してこの年であれば鶴見が戸籍面四歳の時である。

 もっと零細な記憶の破片なら幾らでも拾われよう。そうは思うものの、その数はいたって少ないものである。漸く拾いあげたものを次に列挙する。
 多摩川《たまがわ》の渡し場。そこから川上に富士を仰ぎ見たこと。これは大師詣の途《みち》すがらであったのだろう。それから品川の料亭で、愛想の
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