端《ほりばた》の三宅侯の邸地からつづいて、その大部分は旗本の大名屋敷の跡であった。お鷹匠ばかりでなく、三宅侯の邸内にはあの画技に勁烈《けいれつ》な意気と共に軽妙な写生の一面を拓《ひら》き、現実に早くから目を醒ましていた蘭学者の渡辺崋山が住んでいたのである。その家はどのみちここから直ぐに手の届きそうな近所であったに違いない。鶴見の生れた場所はそんなような由来と歴史とを持っていた。
鶴見にはこの町名に因《ちな》み、動物に因んだ隼男というのが好ましかった。彼がここで特にそういうのは、別に正根《まさね》という名を持たされていたからである。父親の同僚に誰か読書人がいて、隼の字面《じづら》の殺伐さを嫌って、こんな雅名を与えたものであろう。しかし小供の呼名としてはかえってこの名が呼びよかったので、父親は鶴見の幼年時に、よく正根といって、彼を呼び寄せた。鶴見は後にそれを別号のようにして使うことにしていた。
鶴見の家には古い手文庫が一つあった。工芸品といっても月並の程度は出ていない。塗りにも蒔絵《まきえ》にも格別特色は見られなかった。それでも、昨年静岡の家が焼けるまでは、客間の床脇《とこわき》の違
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