ぐさがった。まだそういう観念と義務とに慣らされていなかったせいもあったろうが、父は生来片意地な性格の一面を持っていた。新時代の要請に容易に志を遷《うつ》すということをなしえなかったのである。
 その父が法律や規則などを煩《うる》さがっていながら、当時は司法省に勤めていた。矛盾のようであるが、父の係りは営繕課《えいぜんか》であった。建築の方で起用せられていたのである。築城の素養があるといって、それが自慢の一つであった。
 各藩の城廓の平面図に淡彩を施したのが、何十枚となく一綴《ひとつづ》りにしてあった。これが恐らく父の丹精によって集められたものであろう。反故《ほご》同様に取扱われていても、鶴見の家に長らく残っていて、そんな書類の中でも異色を放っていた。鶴見はそれを見るたびに、父の自慢もまんざらではなかったらしいと思うのである。

 鶴見はこうして、東京|麹町《こうじまち》隼町《はやぶさちょう》で生れたことになっている。府内は大小区に分けられていたかと思うが麹町隼町に変りはない。幕府でお鷹匠《たかじょう》を住まわせて置いた町だといわれている。鶴見の家のあった方は、いわゆる三軒家の通りで、濠
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