ずかしい表情はしているものの、やはり社会大変革の手が当時の若者に分与した夢を抱いていたのだろう。否《いや》でも応《おう》でも抱かねばならなかった立身出世の夢である。
 今は昔で、既に過去となりきって、どこにも支障があろうはずもなかろうからと、鶴見も打明け話をする気になっている。これまで誰にも語らなかったものだけに、多少気遅れもするが、大木氏の従者となって上京したということも、父から直接聞かされていたのではなかった。これは大木氏の継嗣《けいし》であった遠吉伯の手で、先代伯爵の東京遷都建白等について、その前後の経緯を纏めて編著された冊子があり、その書の公刊を見るに及んで、書中に引用された日記か何かによって、はじめてその事実を知ったぐらいな始末である。
 前に三平といったが、佐賀藩の三平が、江藤新平、大木民平、古賀一平だというのは、ここに事新しく述べるまでもない。江藤氏は周知の如く悲劇に終り、古賀氏は不遇を託《かこ》って振わなかった中にあって、大木氏は伯爵家を起すまでに時めいた。寛仁大度の天資が、変遷ただならぬ世に処して、その徳を潤おした結果かとも思われる。
 そんな因縁《いんねん》から、こ
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