。劈頭《へきとう》に自然主義が小説をかえって一定の型に嵌《は》め込む迷妄を破してあるのは表向きの議論であるに過ぎない。それをまた鴎外の文壇復帰の弁だとのみ思うのも皮相の見であろう。新喜楽の老婆の体のこなし方の好さから、多年|鍛《きた》われて来たその意気の強さまでが、さながらに、鴎外の魂が乗り移ってでもいるように、あの短い描写の中でまざまざと見える。赤いちゃんちゃんこを着たお上《かみ》の鬼やらいを、鴎外はただ一人で見ている。演者と見者とがそこに合一している。
そのまた一つは『普請中《ふしんちゅう》』である。鴎外としては最も感慨の深いものであろう。『舞姫』時代の夢がここによみ返って来る。その夢から見ると現在は何と変った姿であろう。また何という気分の分散であろう。身も心も境もおしなべて変っている。普請中の精養軒《せいようけん》で、主人公が外国からやって来た昔馴染《むかしなじみ》の女を待ち受けている。女が来る。主人公はここは日本だと云い云い女を食堂に案内する。給仕が附きっきりである。女がメロンが旨いのなんのという。そして、「あなたは妬《や》いては下さらないのですね」という。中央劇場のはねたあ
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