ることは、いつもそれだけの用意を欠かさなかったところにある。
 鶴見は今更のように、いらざる疑念を起したものとして、ひたすらに困惑するのみである。
「それにしても無知は致し方がないなあ。誰かの手でおれの無知の蒙を啓《ひら》いてもらいたい。」そういって歎息しているが、疑惑は咀《のろ》われてもなお執拗につきまとって離れない。

 北平《ペイピン》の胡同《フートン》の石塀から表の街路に枝を出して、ここにもかしこにもといったように、夾竹桃が派手に咲いている。鮮やかな装いをした姑娘《クーニャン》が胸を張って通り過ぎる。
 夾竹桃はどうしても近代の雰囲気にふさわしい。

 鴎外には『サフラン』という名文がある。
 サフランは石蒜《せきさん》とその寂しい運命を分け合っている。鶴見がまだ子供の時分、国から叔母が来ていたが、血の道の薬だといって濃い赤褐色の煎《せん》じ汁《じる》を飲んでいた。鶴見にはそれだけの思い出しかない。

 名文といったが、鴎外の名文にもいろいろある。先ず『追儺《ついな》』である。羅馬《ローマ》の古俗がどうのこうのといってあるが、実は文界の魔障を追い払う意味を裏面に含めたものである
前へ 次へ
全232ページ中107ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング