れをおかしな事に思ってみても、さてどうするわけにもゆかなかった。執著のさせる業《わざ》であったのである。
しかし草木となると動物の場合に較べてすべてがうらうえになる。鶴見はそれゆえに今度は植物の事に沈潜して肩を軽くし骨を休めたいと切に望んでいる。
実は輪廻思想を追い廻して考え詰めていたときに、或る新聞社から頼まれて余儀なく短文を書いた。卯《う》の花についてあっさり書いた。それが幾らか気をかえてくれたので庭にも出てみた。仕事に少し無理をする。そしてまた疲れてしまった。曾乃刀自は傍《はた》から心配して、あんまり無理をしてはいけないといった。
「何、無理なんぞするものか。おれは今面白いことを考えている最中だ。今までの主食はクラシックで、この節毎日のように遣《や》っている粉食はロマンチックだ。いいかね。米の飯は国粋かね。先ず固有なもので、メリケン粉の蒸《むし》パンは外来的のものだ。少し当らぬところもあるが、手っ取り早くいえばそういうことになるのだ。」
「それはどうでもお考えどおりで好いも悪いもないでしょう。わたくしは無理をなさってはいけないといっているのです。」
「そうか、それほど疲れて見えるのか。」
鶴見が新聞に出した短文というのは、平安朝時代に卯の花熱が急に昂《たか》まって、殿中の女房たちを田園に引き寄せた事実に対して、うつぎ[#「うつぎ」に傍点]の果実が薬種であり、田舎に移植され、それが垣に、将《はた》また畑地の境界に、盛んに生育して花を咲かせたのも、そのもとをいえば、そういう実用があったがためであろうと推量して、うつぎ[#「うつぎ」に傍点]を漢土から渡来のものではあるまいかとの考を述べてある。外国からの伝来には種々な動機もあり機縁もある。万葉時代の梅もそのとおりである。この事もちょっと短文の中に書き加えてある。
鶴見には植物に限らず、一国の文化を推進せしめるものは外国文化の影響刺戟に因《よ》るものであるという信念がいつからか萌《きざ》していてさして発育もしなかったが、根は抜けずに、そのままになっていて、萎《しお》れるということもなく持ちこたえている。これまでは一般にそういうような研究もどこやら遠慮がちなところがあった。それではいけない。各方面の人々の手でもっと大胆に検討する必要があろう。鶴見は自分で研究が出来ぬまでも理解は持っていたので、そういう方面の課題に対してはいつでも興味だけは伸《の》びるままに伸していた。
それで時々思い附くことがある。
その思い附きを趁《お》って空想を馳《は》せることに、鶴見は特に興味を感ずる。新聞社に投じた文章もそうした思い附きの一つに過ぎなかった。勿論科学的研究というようなしっかりしたものでないから根拠が浅い。肩を衝《つ》かれ腰を打たれれば直ぐにも転ぶ。そんなことは厭《いと》ってはいられない。人がためらって口に出さぬことを、ただ思い附きなりに素直にいって置きたい。それが念願である。そしてそんな思い附きでも何かの機縁になって、他日良果を結ぶことでもあればなんぞと、当《あて》にもならぬ先の先を見越して空頼《そらだの》みしていることもあるのである。
現に外国文化の影響は今日の食制の上に痛切な影を投じている。米食と並んで粉食がやがて国俗となろうとしていることである。外来の物を受け入れるにはそれに相応する理由があるのではあるが、それにはまた思いも掛けぬ動機と機縁とがあることも忘れてはならない。
ここに石蒜《せきさん》の一例がある。鶴見はそれを面白い語り草としてよろこんでいる、伊沢蘭軒《いざわらんけん》が石蒜を詩に入れているのを発見したといって、鴎外がひどく珍らしがっている、あの一条の話である。これは鴎外の大著蘭軒伝中に事をわけて備《つぶ》さに述べてある。この日鴎外は文部省展覧会で児童が石蒜を摘《つ》んで帰る図を観てこれを奇としたが、その夜蘭軒詩を閲《えっ》してまたこの花に逢ったといってある。そして石蒜は和名したまがり、死人花《しびとばな》、幽霊花の方言があって、邦人に忌《い》まれている。しかし英国人はその根を伝えて栽培し、一盆の価《あたい》往々数|磅《ポンド》に上っていると書き加えているが、その石蒜がいかなる経路を取ってかの国に伝えられたかは語っていない。
因《ちなみ》にいう。鴎外の文中、昔年|池辺義象《いけべよしかた》さんの紀行に歌一首があったと思うが、今は忘れたというのは、鴎外自身が「きつねばな」と題して、『藝文』第二号(明治三十五年八月)に掲げた短文がある。それによると、藤園池辺氏が丹波《たんば》に遊んで大江山《おおえやま》あたりを歩いたとき、九州辺で彼岸花《ひがんばな》というものを、土地の人に聞けばきつねばなと答えたといって、「姫百合のおもかげ見せてあきの野に人たぶらかすきつね花
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