のうちで類例を求むれば、やはりドオデエに似寄ったところがあったのではなかろうか。
 天稟《てんぴん》の美しい情緒を花袋はもっている。それを禅に参ずる居士《こじ》が懐くような自負心で掩《おお》うている。実際のところ、かれの情緒はその自負心によって人生の煩累から護られていたのである。
 鶴見は短冊《たんざく》を一枚花袋から貰って、戦禍に遇うまでは、ちょくちょく短冊かけにかけてながめていた。短冊は竜土会《りゅうどかい》であったか、それとも別の会合のおりであったか、いずれにしてもその席上で、酔余の興に乗じて書き散らしたその中の一枚である。鶴見は半切《はんせつ》や短冊をねだって書いてもらうのを好まなかったので、そんなものは一枚も持ってはいなかった。花袋はその夜どういうわけか、その短冊を黙って鶴見に手渡したのである。
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山松のあらしのなかに落ちゆく月いかば
かりさびしかるらむ
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こんな歌が書いてある。感傷的な気分はあっても、読んでみて、それがすこしも瑕《きず》にはならない、好い歌として歌いあげられる。情緒と悟性との調和がそこに見られるからである。
 花袋の月はこうした澄んだ心境にあって、山松のあらしのなかに沈んでいった。花袋は自家の屋根の下で家族にまもられて死んでいったのであるが、その知死期《ちしご》のきわでかれの眼に浮んだのはこの嵐の中の月ではなかったろうか。かれはかれの魂を山の月に托して寂しく目をつぶったのでもあろう。鶴見は妄想がちなそんな考をさえ、繰り返し考え直しているうちにその考に客観性を生じて、今ではそうした考を信じて疑わぬようになっている。

 景彦《かげひこ》の声がする。姿は見せない。その声だけがはっきり聞えてくる。
「藤村も花袋もきみの先輩でかつまた友人であった。その二人のプロフィイルを、どういう考があって、あんな風に描いてみたのだね。素人《しろうと》くさいのはしかたがないとしても、陰影のとりかたなど、まずいね。対比もおもしろくないよ。それはそれとして、二人とも好い死かたをしたという、あのことをきみはどんな意味で言い出したのかそれが聞きたいな。」
「別になんでもないのさ。そう改まって聞かれるとかえって言いにくくなる。藤村は旅に出て死んだというのじゃないが、自分の庵室の静《しず》の廬《いおり》を離れて他の地方で死んでいる。宗祇にしても芭蕉にしてもそうじゃないか。みんなああいう人たちは好い死かたをしている。おれはそう思っているのだ。」
「芭蕉から宗祇へ遡ってみればよくわかるように、人の死かたにも伝統があるね。それでは宗祇からどこに遡れるか、そう問われればぼくは直《ただち》に定家卿というね。」
「いかにも――。」
「そうじゃないか。定家はもちろん旅で死んだというのではない。だがね、好い死かたをしたというのは旅で死んだというだけではないのだろう。芸術に対する執心、その執心のなかに永遠のすがたをみたいという願望、好いかね、その願望がはてしない旅をつづけさせているのだ。芭蕉の「曠野《あらの》の夢、宗祇の月をながめて」といった、あの臨終の言葉にこもるあくがれごこち、どちらも芸術の執心に萌《きざ》さぬものはない。定家とすれば俊成の幽玄から更に自個の立場を明らかにしようとして有心《うしん》を説く。芸術の分野で絶えず完成されぬ旅をつづけていたということになる。そうだろう。」
「おれもそう思っているのだよ。それにしても宗祇はえらかったね。長い間かれを知らずに過してきたのはおれの不覚であった。おれの生涯もまさに尽きようとしている。そんな時になって、やっとかれを知った。一端《いったん》知ってみれば、すぐかれがわが邦《くに》文芸道の第一人者ということが分ったね。実は驚いているところさ。」
「宗祇が『古今集』のやまとうたは人の心を種とするといっているのを釈して、それを元初一念の人の心と断じ、忽然《こつねん》念起、名づけて無明《むみょう》と為《な》すというのはこれだ。無明は煩悩《ぼんのう》だ。この元初の一念が一切万物の根元だといって、「さらば無明の一念より歌もいでくるなり」と確言している。卓見だね。きみもいつかこの『起信論』の忽然念起を挙げて衆生心にすべてをもとづけようとしていたね。」
「そのとおりだ。あんまり察しが好いのであとがこわいよ。でもね、かれが文芸復興期と変革期との交叉《こうさ》する辻に立って法を説いたということは争われない。復興期の人としては、美の伝統者でもあり、美の発見者でもあった。変革期の人としては啓蒙に従事した。そのためには東西に倦《う》むことなき旅をつづけていた。かれには宗教もあり哲学もあり学問もあった。そして人の心に自覚の精神を起して文化の光を認めさせるように努めていた。そういう人格者は
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