に対する処置を取り得なかった。またそうさせぬものが胸中に蟠《わだかま》っていて自由な行動を制していたのである。
かれが文壇に登場したはじめには、小説というものを真似事のように書いてみた。二度目に苦心して書き上げてみたが、苦心をしただけに、すぐに厭気《いやけ》がさす。なぜというに、小説を書くことは自分の宿志に背《そむ》くと思ったからである。そして反省する。反省に反省を重ねて、その苛責《かしゃく》に悩むのがかれの癖である。彼はそれから詩を書く決心をした。かれの好みは幼年時より詩の方に向いていたのである。詩は書きたい。しかし強《あなが》ちに詩人になろうとまでははっきりさせていなかった。今となってはそうしているだけでは済まされない。かれはこの時はじめて詩人になろうと盟《ちか》って、おれはこれから詩人になるのだと叫んでみて、その声を自分自身に言い聞かせた。そうして既に詩人となったつもりで詩を書こうというのである。それが既に無理である。あれこれと試みたものの、書き上げてみればそのあらだけが目について、どうにも長く見ているに堪《た》えられなくなる。おれには叙情についての才能が足りない。かれはつくづくそう思って困惑した。素直《すなお》に情感が流れて来ないということは、そういう濃《こま》やかな雰囲気を醸《かも》し出《だ》す境遇にかれが置かれていないという事、その事をかれは次第に自覚してきた。かれはこの叙情の才能に欠けていることを、詩人として立つ上において殆ど致命的であるかの如く思い詰めた。実際にその作詩は情趣に乏しかった。題材は自然、神話、伝説にわたって、各※[#二の字点、1−2−22]異ってはいたが、事象の取扱はいずれも外面的で、どうやら合理的科学的な方法への傾向を持っていた。その上にも時事問題にまで心を牽かされていた。それはそれで調和が取れていれば好かったが、ただわけもなく雑然と混糅《こんじゅう》していた。
鶴見がそこに気がついてから、これを苦にして漸《ようや》くにしてたどりついたのが言葉の修練ということである。先ず自分に欠けている情趣を自分のなかから作り出そうという考に到達した。さてその考を実現するには何を根本に置くべきか。それが順序として次に解かねばならぬ疑問である。かれはその当時それほどまでの分別はしていなかった。それにしても既に案出した問題の性質から、詩の重要性が言葉
前へ
次へ
全116ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング