る。木炭は殆ど配給がなく、町に出たときコオライトというものを買って来て、臭《くさ》い煙の出るのを厭《いと》いながら、それを焚《た》いていたが、それさえ供給が絶えてから、この電熱器を備え付けたのである。
 しかしこの日はどうしたことか、鶴見は妙にはしゃいでいる。いつもの通り机の前に据《す》わって、刀自の為事《しごと》をする手を心地よく見つづけながら、また話しだした。
「あの梅を植えたときのことを覚えているかい。まだずぶの若木であったよ。それがどうだろう、あんな老木になっている。無理もないね。あの関東大震災から二十年以上にもなるからな。」
 そういって感慨に耽《ふけ》っているようであるが心は朗《ほが》らかである。鶴見は自分の年とったことは余り考えずに、梅の老木になって栄えているのを喜んでいる。
 鶴見は震災後静岡へ行って、そこで居ついていたが、前にもいった通り戦火に脅《おびや》かされて丸裸になり、ちょうど渡鳥が本能でするように、またもとの古巣に舞い戻って来たのである。かれにはそうするつもりは全くなかったのであるが、ふとしてそういうことになったのを、必然の筋道に牽《ひ》かされたものとして解釈している。安心のただ一つの拠《よ》りどころが残されてある。彼はそこを新たに発見した。そういう風に考えているのである。ただし当今はどこにいたとて不如意《ふにょい》なことに変りはない。それにしても古巣は古巣だけのことはある。因縁《いんねん》の繋《つな》がりのある場所に寝起きをするということが、鶴見をその生活のいらだたしさから次第に落ち著《つ》けた。殊に今日は梅の老木に花が匂い出したのを見て、心の中でその風趣をいたわりながら、いつまでもその余香を嗅《か》いでいるのである。

 この鶴見というのは一体どういう人間なのであろうか。かれは名を正根《まさね》といって、はやくから文芸の道にたずさわっていたので、黙子《もくし》なんぞという筆名で多少知られている。学歴とてもなく、知友にも乏しかったかれは、いつでも孤立のほかはなかった。生まれつきひ弱で、勝気ではあっても強気なところが見えない。世間に出てからは他に押され気味で、いつとはなしに引込《ひっこ》み思案《じあん》に陥ることが慣《なら》いとなった。彼はしょっちゅうそれを悔《くや》しがり寂しがるのみで、その境界《きょうがい》を打開する方法はあっても、それ
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