の修練にあるということの暗示を受けていたのだろう。かれはだんだんその方に目を醒《さ》ましていった。鶴見が晩年に至るまで、言葉の修練をかれには似合わず執拗に説いていたのは、その由来がそういうところに深く根をおろしていたからである。
 言葉の修練を積むに従って詩の天地が開闢《かいびゃく》する。鶴見はおずおずとその様子を垣間見《かいまみ》ていたが、後には少し大胆になって、その成りゆきを見戍《みまも》ることが出来るようになった。それと同時に、好奇と驚異、清寧と冷徹――詩の両極をなす思想が、かれを中軸として旋回《せんかい》しはじめるのを覚える。慣《な》らされぬ境界に置かれたかれはその激しい渦動のなかで、時としては目が眩《くら》まされるのである。
 こういう経験をかれは全く予期しなかった。あとから思量すれば、そういう経験のなかに、近代ロマンチック精神の育《はぐ》くまれつつあった実証が朧《おぼろ》げながら見られる。

 鶴見はとにかく不毛な詩作の失望から救われた。言葉の修練を日々の行持《ぎょうじ》として、どうやら一家をなすだけの途《みち》をひたむきに拓《ひら》いていった。
 かれにも油の乗る時機はあった。そうはいうものの、久しからずして気運は一転し、またたく間に危機が襲いかかった。危機はもとより外から来た。しかしかれの内には外から来る危機に応じて動くばかりになっていたものを蔵していたということもまた争われない。内から形を現わして来たものが外からのものよりも、その迫力がむしろ強かったという方が当っている。それに対して抵抗し反撥することは難《むずかし》かった。理不尽に陥ってまでもそれを敢《あえ》てすることはないとかれは思っていたからである。
 孤立であったかれは、譬《たと》えば支えるものもない一本の杭《くい》のごときものであった。その杭の上にささやかな龕《がん》を載せて、浮世の波の押寄せる道の辻に立てて、かすかな一穂《いっすい》の燈明《とうみょう》をかかげようと念じていたことも、今となってはそれもはかない夢であった。かれには夢が多すぎた。しかもその夢はいつしか蝕《むしば》まれていた。危機に襲われて、これまで隠していた弱所が一時に暴露したことを、かれは不思議とは思っていない。それがためにかれは独《ひとり》で悩み、独で敗れることになったのである。
 その時、体をひどく悪くしていたことも手
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