すら再びこの境地に達することが出來なかつたのである。更に深く幽《かす》かに濃やかなる感情と、更に鮮やかなる印象と、痛切なる苦悶と悦樂とを、簡淨なる詩句に調攝《てうせつ》する大才(是れ一個の※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ルレエヌ)のあらはるゝ日あらば、その先蹤《せんしよう》をなした「若菜集」はまた一層の價値を高めることであらう。「若菜集」を善く讀むものはかゝる豫定と想望とを禁じ得ないのである。
同情ある評家は當時「若菜集」の中《うち》なるある歌にPRBの風趣ありと讚嘆した。PRBはさることながら予はこゝに佛蘭西新派の面影をほのかに偲ぶものである。
島崎氏はその後《のち》淺間山の麓なる佗しき町に居を移された。性情と境遇の變化は「寂寥」の一篇によく現はれてはゐるが、この篇を賦するに當て島崎氏は「若菜集」の諸篇と全然|趣《おもむき》を異にする詩の三眛境《さんまいきやう》を認められたやうである。知的の絃《いと》が主なる樂旨を奏するやうになつたのである。こゝに胸中無限の寂寞を藏して、識ますます明らかなる時、信の高原をわたる風の音は梵音聲《ぼんおんじやう》の響をたてる、詩人は青蓮の如き眼
前へ
次へ
全8ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング