《まなこ》をあげて、跡もなき風の行方を見送つたのであらう。これを彼《か》の「若菜集」の『眼にながむれば彩雲《あやぐも》のまきてはひらく繪卷物』に比べ來れば、その著るしき趣の相違に驚かれる。彼にあつて自由に華やかに澄徹した調を送つた歌の鳥もすでに聲を收めて、いつしかその姿をかくした。此《こゝ》には孤獨の思ひを擁《いだ》く島崎氏あるのみである。詩人は努力精進して別に深邃《しんすゐ》なる詩の法門をくゞり、三眛の境地に脚を停《とゞ》めむとして遽《には》かに踵《きびす》をかへされた。吾人は「寂寥」篇一曲を擁《いだ》いて詩人の遺教に泣くものである。南木曾《なぎそ》の山の猿《ましら》の聲が詩人の魂を動かしそめたとすれば、淺間大麓の灰砂《くわいしや》の谿は詩人の聲を埋《うづ》めたとも言へやう。――島崎氏はこれより散文(小説)に向はれたのである。

       (二)

 島崎氏を言へば、島崎氏の前に北村透谷のあつたことを忘れてはならぬ。
 透谷は不覊《ふき》の生をもとめて却て拘束を免るるに由なかつた悲運の詩人である。その魂はすべての新しきものを喘《あえ》ぎ慕ひて、獨創の天地を見出さむとしたが力足らず
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