鎮守府の佐世保(北松浦にあり)、石炭の唐津、しかも後者は白砂青松、おほくえやすからざる遊覧地なるをや、啻《ただ》に遊覧地なるのみならず、その近傍は上代及近世に亙りて、歴史の上に関はるもの尠からず、また山光といはず、水色といはず、乃至、一茎の撫子、一羽のかち烏[#「かち烏」に傍点](肥前の特産)にも、飄霊の精気活躍するを看れば悉く詩歌のこころに洩るるはあらじ。
 筑前一帯の海岸は福岡、博多を中心として較《やや》世人に知られたり。しかれども海の中道《なかみち》を称するもの多からざるを悲む。そが明媚なる沙線の一端に連なるは志賀島《しかのしま》なり、この島の白水郎《あま》の歌などいひて、万葉集に載するものくさぐさあり、皆可憐の趣を備ふ。天平六年、新羅《しらぎ》に遣はさるる使人等の一行は、ここ志賀の浦波に照りかへす月光を看て、遠くも来にける懐郷の涙をしぼり、志摩郡の唐泊《からどまり》より引津泊《ひくつどまり》に移り、可也《かや》の山べに小男鹿《さをしか》の声の※[#「口+幼」、第4水準2−3−74]々《えう/\》たるを聴き、次で肥前国狛[#「狛」に傍点]|島《しま》に船をとどめたりしその夜の歌に
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