ること昔時に及ばずといふ。ここより盛に陶磁器を輸出せし時代やいかなりけむ。ロングフェロオが「ケラモス」と題したる詩のうちに、世界の窯業地《えうげふち》としてその名をかずまへ、うるはしき詞もて形容せる数行の句は聊《いささ》か現今の衰勢を慰むるに足りなむか。町の一端に岩栗神社あり、孝元天皇第四の皇子を奉祀す。天平のむかし藤原広嗣一万余騎の兵を嘯集《せうしふ》し、朝命に乖《そむ》き、筑前、板櫃川《いたびつがは》に拠る、後やぶれて、松浦郡なる値嘉島《ちかのしま》に捕へらる。時の副将車、紀飯麻呂《きいひまろ》この地に到り、祭壇を設けて紀氏の祖を祀りしに創れりと伝ふ。因にいふ伊万里の名称は飯麻呂の転訛なりと、いかゞあるべき。
いかづち夕に天半《なかぞら》を過ぐ、烏帽子、国見の山脈に谷谺《こだま》をかへせしその響は漸く遠ざかれり、牧島湾頭やがて面より霽れたれども、退く潮の色すさまじく柩を掩ふ布のごとき雲の峯々の谷間に埋れゆくも懶《ものう》げなり。くしや、この黄昏の空より吹きおろす秋風は遽《にはか》に万点の火を松浦富士(越岳《こしだけ》)の裾野に燃しいでたる。焔は忽ち熾《さかり》なり、とみれば、また
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