の丸の跡は、青き苔と、女蘿《ひかげ》、蔦などに掩はれたる石垣の所々に存するあるにすぎず。それさへ歳々《とし/\》に頽《くづ》れ墜つといふ、保存の至らぬは悲むべし。しかのみならず、一片の碑だに、英雄の事蹟を誌し弔《とむら》ふなきに於ては、誰かはそを憾みとせざらむ。朝鮮の俘虜を囚へこめしところのあとといふも、夏草の生ひ茂るにまかせ、うばら、からたち、較《やや》もすれば足を投《いる》るの隙なからむとす。征韓のことは洵に豊公一代の経営なるかな、されども、この海角の荒野原を剰《あま》すにだも漸く難からむとするを看れば、英雄といへども、一たび地下に瞑するや、千古の威名、はた虚栄に過ぎざるごとし。「公の薨後三百年、ことし、京都阿弥陀峯なる奥津城どころを修め、追弔紀念《つゐてうきねん》の祭典をあげたり、いささか公が御霊を慰むるものあらむか。」公かつて鎌倉山に覇気の寒きをあはれみ、頼朝の像を撫すること、恰も垂髫児《うなゐ》を愛づらむがごとかりき。はしなくもこのことありしを思ひいで、かくも荒れはてたる城山の空しき風に対する時、さしもの雄図も、今や、日月と共に、遠き過去に属したるを愴《いた》むの情いよ/\深
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