めたる紫袈裟の破戒法師(玄※[#「日+方」、第3水準1−85−13])は、※[#「倏の犬のかわりに火」、第4水準2−1−57]《たちま》ち虚空の中に捉へ去られ、その首、のちに興福寺の唐院に墜ちたりと、世の人伝へて広嗣が霊の祟となす。太宰少弐(広嗣)この世に納《い》れられず、謬て賊名をとりきといへども、たちどころに軍卒一万余を嘯集せるがごとき、敗れて値嘉島《ちかしま》より船出したるがごとき、その胆略計るべからざるものあり。「われは大忠臣なり、神霊何ぞ棄てむや。」と罵《ののし》りしに至つては、意気のさかんなること焔のごとし。また松浦明神として祀られしなど、すこぶる天慶の将門に似たらずや。
 さあれ、玉島川といふ、鮎の名産あるを知るとともに、神功皇后の事蹟をおもひ起さずばあらず。川に沿ふて上ることしばらく、両岸の山あひ蹙《しじま》り、渓せまく、煙しづかにして、瀬のおと逾《いよ/\》たかし、南山の里に入れば緑なる阜《をか》の上に皇后の祠を拝するの厳かなるを覚ゆ。嵐うづまくところ、老樹の枝は魂あるもののごとく、さながら当年の金鼓の響を鳴すに通ふ。そが下にたてる「垂綸碑《すゐりんのひ》」は篆字《て
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