いはく
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たらし姫みふねはてけむ松浦のうみ
妹がまつべき月にへにつつ
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と、その古《かみ》、神功皇后|韓国《からくに》をことむけたまひ、新羅の王が献りし貢の宝を積みのせたる八十艘の楫《かぢ》を連ねてこの海に浮べるを憶ひおこし、はしなくも離れ小島の秋かぜに荻の花の吹きちるを詠《なが》むる身は、朝廷《みかど》の大命の畏くて、故郷に残しおきつる妻子の今宵や指かがなへて帰るを待つらむなど、益荒武雄《ますらたけを》の心ながらも宛ら磯礁《いそいは》に砕くる白波に似たりけり。一首の三十一文字のむね洵《まこと》にかくのごときものあり。
出でて裏浜《うらはま》(唐津町の)の真砂の上に※[#「彳+尚」、第3水準1−84−33]※[#「彳+羊」、第3水準1−84−32]《しやうやう》の歩を移せば海上呼べば応へんとすばかりなる鳥島より右に後ろにさけて高島はその名のごとくそばだち、なほ遥かに左に偏《かたよ》りたるところに島の影の低《ひく》く見ゆるが、これぞ――かしは[#「かしは」に傍点](神集)島なり。万葉集に狛[#「狛」に傍点]島《しま》と書きたる、字面の謬あるよしは前人もすでに言はれき。ここにて軍議をこらせしことありしやに朧ろげながらいひ伝ふ。もとより上代のことならむ。
鳥島と裏浜とはあひ距《さ》ること僅に数町にすぎず、そのあひだ漣※[#「さんずい+猗」、第3水準1−87−6]《さざなみ》つねに穏かなり、かつ遠浅なれば最も海水浴に適す。夏の暁、潮風涼しく、松の林の下道|零《こぼ》るる露の滋《おほ》きとき、三々また五々、老幼を問はず、男女を択ばず、町に住める人々の争て、浜辺に下りゆくを見る。清きうしほに漬《ひた》りつつ、首《かうべ》をあげてまさに日の出でむとする方に向へば、刃金《はがね》、雷《いかづち》の連亙起伏する火山脈の極るところ、形塩尻のごとき浮岳は勃※[#「山/卒」、110−上−21]《ぼつそつ》として指顧のあひだに聳ゆ――雲を被《かつ》ぎて眠れるがごときもの漸く醒め来れば半面の微紅は万畳の波に映じ、朝霧のはれわたるままに、遠き海づらは水銀《みづがね》のごとく耀きて志摩半島の翠螺《すゐら》をのぞむ。
また、徐《おもむ》ろに舟を遣り、やがて鳥島に纜《ともづな》を繋ぐ。島は周廻幾ばかりもあらぬが悉く岩石の累々たるのみ。堅緻《けんち》なる火山岩は統ぶるものなくうち紛《みだ》れたり、これとかれと互に合はむとして曾て合はず、満ちし潮のいつしかその罅隙《ひま》に溢れたるが、はげしき夏の日にあたためられ、ここに適度の温浴を供す。もし松浦潟の冷かなる波をかつげるのち、凍えたる手足を恣に投ずれば温泉身を浮ぶること雲のごときあらむ。折しも鴎の鳥のうち羽ぶきゆくあり、そが雪なす翅の巴絵《ともゑ》を描くにみちびかれて、いまここより舞鶴城の残趾を回視《かへりみ》むは最《た》えがたき好機会なるべし。
城の廓《くるわ》に用ひられたる石材はこの島より斫《き》りいだしきといふ。海よりただちに高く築き上げられたる外観の極めて美はしく、逞しきは、古三韓の地も優に指揮に任《まか》すべく、その風姿せまらざるものあり。聞く、豊太閤の名護屋に城《きづ》くは結構宏壮を極む、後こぼちて、そをここに移したりきと、すなはち広沢氏、大久保氏より伝へて、近くは小笠原氏の居城たりしなり。封建の制度の弛めると共に、天守台の影も失はれ、櫓の姿も消え遂に拓かれて公園地となるに至りたれば、もとの面影の十が一をも想像するに難かり。ただ歳古る木々の梢を交へて蓊鬱《をううつ》たるが、深藍いろの空を噛みて悠遠なる歴史を語らんとする――あに豊公以後三百年とのみ言はむや、連想ははやく吾人を駆つて南北朝に遡り、源平の代に遡りては、いはゆる「松浦党」の生活を捜らしめ、更に上つ代に、気長足姫命《おきながたらしひめのみこと》の大なる稜威のほどを称へまつらくす。
唐津岳は、後景《ばつくぐらうんど》に布き、裏浜および虹の松原は左右の翼のごとく飜り、満島より続きたる城下の市街の白堊はその間を点綴《てんてい》し、澄みわたる大空に頭をもたげ、万斛《ばんこく》の風を呼吸し、はるかに靺羯《まつかつ》の大野原を見さけんとするは、この城の姿勢なり――厳かなれども、逼《せま》らず。うべ、「まひづる[#「まひづる」に傍点]」の称の因あることや、また、誰かその鳴く音の高くして清きを聴かむと欲せざる。
われ鳥島にあそびしその日の夕、舟を松浦川口にとどめ、私《ひそか》におもひに堪へざりしことの今なほ記憶に新たなるものあり、キイツが「いかばかり、われは愛づるよ、うるはしき夏のゆふべに」のソンネットは洵にここに於て唱へらるべきをおもふ、二度、三度唱へて、その意ますます尽きざらむ。只看れば、日の
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