の丸の跡は、青き苔と、女蘿《ひかげ》、蔦などに掩はれたる石垣の所々に存するあるにすぎず。それさへ歳々《とし/\》に頽《くづ》れ墜つといふ、保存の至らぬは悲むべし。しかのみならず、一片の碑だに、英雄の事蹟を誌し弔《とむら》ふなきに於ては、誰かはそを憾みとせざらむ。朝鮮の俘虜を囚へこめしところのあとといふも、夏草の生ひ茂るにまかせ、うばら、からたち、較《やや》もすれば足を投《いる》るの隙なからむとす。征韓のことは洵に豊公一代の経営なるかな、されども、この海角の荒野原を剰《あま》すにだも漸く難からむとするを看れば、英雄といへども、一たび地下に瞑するや、千古の威名、はた虚栄に過ぎざるごとし。「公の薨後三百年、ことし、京都阿弥陀峯なる奥津城どころを修め、追弔紀念《つゐてうきねん》の祭典をあげたり、いささか公が御霊を慰むるものあらむか。」公かつて鎌倉山に覇気の寒きをあはれみ、頼朝の像を撫すること、恰も垂髫児《うなゐ》を愛づらむがごとかりき。はしなくもこのことありしを思ひいで、かくも荒れはてたる城山の空しき風に対する時、さしもの雄図も、今や、日月と共に、遠き過去に属したるを愴《いた》むの情いよ/\深からざるを得ざるなり。
 風くろく、雨しろし、いかづち轟き、濤いかる、壱岐海峡の気圧ます/\低し。――自然の気象はたま/\当年の威武を回想するに好箇の紀念を供すべきなり。おもひを馳せて遠きをのぞむ、壱岐の島煙波ふかく鎖し、近海の諸島――「加唐《かから》、加部島《かべしま》、波戸《はと》、馬渡《まだら》」なるもの悉く双の眸に映じ来る。地はかくのごとく形勝を占め、眺望太だ闊達なり、ために大に、この胸の鬱を放ち、かの心をして宏うせしむるものあり。
 時に松風ひびきあがり、野飼の駒たてがみを振ひ、首を擡《もた》げ、高く嘶《いば》ゆることやまざりき。傍に砕けたる瓦の堆《うづたか》きがあり、そのあひだを抽《ぬ》きいでて、姫百合の一もと花さくもあはれなり。
 草場|船山《せんざん》の句あり、かの瓦もて製《つく》りたる硯に題する古詩のうちに――

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豈図[#(ヤ)]故国大星墜[#(ツ)]   七年[#(ノ)]辛苦空[#(ク)]涕涙、
高城依[#レ]旧臨[#(ム)][#二]海[#(ニ)]※[#「土へん+斥」、第3水準1−15−41][#一] 無[#(シ)]復[#(タ)]蛾眉佐[#(
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