と想像しただけなのです。またさういふところから、小山内君の苦惱とあの革新的精神の反撥とがあつたのではなからうかと推想して見てゐるまでなのです。

 わたくしは自由劇場も第三囘以後は見てもゐません。身體を惡くした上に、不便な郊外に移居しましたので、すつかり文壇から遠ざかつてゐます。小山内君ともこゝ數年間に亙り、親しく膝を交へて談じたこともありません。
 小山内君は既に確かりした地歩を占めてゐることですし、これから更に大に成すところがあるのでせう。わたくしはついうかうか話をしてきましたが、考へてみれば、これは僭越であつたかも知れません。要するにとりとめのない話です。

 附記
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この一文は談話筆記であらうと思はれるが、どういふ場合にこんな話を試みたか殆ど全く記憶がない。切拔によつたのであるが、雜誌名も判らず、年月も記載を怠つてゐたのではつきりしない。ただこの文のはじめに今より十五六年前とあることから推すと、この話をしたのはおよそ大正四五年の頃であつたのだらう。文章はすつかり手を入れてこゝに出すことにした。いくらか小山内君の若いをりの面影が傳へられるかと思つたからである
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