時のこまかい印象を再現してきます。
 そのころの小山内君はクリスチヤンであり、理想家であつたのですが、それでゐて異端者らしい藝術家氣質が、遺傳の色に深く染まつてゐるやうに見えたのです。その宗教的氣分も生來のものであつたのでせう。それが藝術的情趣と手を繋ぎ難くもなり、その兩者が意識した思想となるに從つて、内心に相剋するところが多くなつてきてゐるやうに見えたのです。シエレエの詩の中では殊に「プロメシウス・アンバウンド」を愛誦した。それだけを知つてゐても、小山内君のこころもちがよく判るやうに思はれる。
 わたくしはキイツからロセチに移つたが、小山内君はシエレエの後にイエエツを選んだのです。さういふ事實だけを擧げてみても、小山内君の歩んでゆく途ははつきりしてゐます。藝術だけでは滿足されず、さればといつて宗教にも沒頭することが出來なかつた。苦惱は多かつたと推測してよいでせう。然しそこには自然にヒユウマニストの歩む途が開けてゐます。小山内君は、時には左右に逸れることがあるとしても、大體においてその途をたどつてゆくやうになるのかと私かに考へてゐます。
 小山内君は大學を出てから劇壇に關係を深くし、明
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