小山内謝豹
蒲原有明
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小山内君は一時謝豹といふ雅號を用ゐてゐました。それをおぼえてゐる人は恐らく稀でせう。もう十五六年も前のことになります。そのころ生田葵君のやつてゐた「活文壇」といふ雜誌に、知與子とか謝豹とか署名して、ちよくちよくシエレエの詩の飜譯が出たものです。「わが靈は魔に醉ふ舟か、夢を見る鵠の如」とか、「山、柯(こむら)、ま淵の間を」とか、さういふ詩句を讀むと行きわたつて充實してゐる中に、柔らかな調子がよく出てゐる。わたくしは全くこの未知の作者の技倆にひきつけられてしまひました。そこで生田君に頼んで、紹介されて、初めて謝豹君に會見する機を得たのです。小山内君がまだ麹町三番町に住まつてゐて高等學校に通つてゐた時代ですから、明治三十四年より後であつたとは思はれません。
謝豹の雅號については、第一にその字面がおもしろい。それでわたくしは特に興味をもつてゐるのですが、何でもホトトギスの異名だといふことです。暢氣な話ですが序だからこゝに言ひ添へておきます。
そんなことからおたがひに頻りと往來するやうになつて、だんだん親しくつき合つてみると、このわかい謝豹君がよほど前から鶯亭金升に師事して東亭扇升の名まで貰つてゐることがわかり、その意表外の事實にわたくしはちと驚かされました。鶯亭金升と内村鑑三とでは少し矛盾があるやうに考へられたからです。
小山内君はその時分から、羨ましいほどの藏書家で、熱心な讀書子で、その智識の範圍は廣く多方面に亙つてゐたといつてよいのでせう。その上にはやく歿くなつた巖君の派手で寛濶であつた情趣生活が、その餘香を君の身邊に、君の書齋の調度のたぐひにまでとどめてゐたことを想起してみて、さういふ雰圍氣の中にわかい謝豹君を置いてみることが、わたくしに取つてはいかにもなつかしい。その書齋にこもつて、どこか圭角があり矜持するところの高かつた秀才がシエレエの詩集を耽讀してゐる。※[#「木+眉」、第3水準1−85−86]間には矢張おなじ詩人の處女のやうな風貌をもつた肖像の額面が懸つてゐる。わたくしの記憶は次から次へその當
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