時のこまかい印象を再現してきます。
 そのころの小山内君はクリスチヤンであり、理想家であつたのですが、それでゐて異端者らしい藝術家氣質が、遺傳の色に深く染まつてゐるやうに見えたのです。その宗教的氣分も生來のものであつたのでせう。それが藝術的情趣と手を繋ぎ難くもなり、その兩者が意識した思想となるに從つて、内心に相剋するところが多くなつてきてゐるやうに見えたのです。シエレエの詩の中では殊に「プロメシウス・アンバウンド」を愛誦した。それだけを知つてゐても、小山内君のこころもちがよく判るやうに思はれる。
 わたくしはキイツからロセチに移つたが、小山内君はシエレエの後にイエエツを選んだのです。さういふ事實だけを擧げてみても、小山内君の歩んでゆく途ははつきりしてゐます。藝術だけでは滿足されず、さればといつて宗教にも沒頭することが出來なかつた。苦惱は多かつたと推測してよいでせう。然しそこには自然にヒユウマニストの歩む途が開けてゐます。小山内君は、時には左右に逸れることがあるとしても、大體においてその途をたどつてゆくやうになるのかと私かに考へてゐます。
 小山内君は大學を出てから劇壇に關係を深くし、明治四十二年には自由劇場主事の地位に据つて、その第一試演にイブセンの「ボルクマン」を上場した。イブセン大流行の當時であつたとしても、これは小山内君の性格がイブセンを藉りて、その發露を求めたとみても、ひどく間違つてはゐないと思ひます。つまり小山内君の胸中に鬱積相剋してゐた思想が、自由劇場といふ晴やかな舞臺でその疏通を得たものと見られないでもありません。かうした觀察はあまり主觀的で臆測に過ぎませんが、わたくしは兎に角さういふ風に思つてゐます。人生の享樂と人道主義との葛藤がまざまざと目に見え、且又深く考へられます。

 小山内君の容貌は、わかい時分にはどこかハウプトマンに似てゐて、あれほど苦味ばしつてはゐなかつた。妙なことですが、そんな風に感じただけを一寸云つておきたいのです。それから小山内君は一蝶や其角を小説の主人公に捉へて來たが、どうかするとさういふ過去の藝術家の頽唐的生活の興味が、小山内君の肉身のどこかに薫染してはゐなからうかとも疑はれる。勿論其角や一蝶の皮肉と愚弄と追從とが小山内君にそのまゝにあらはれてゐようとは、毫頭思つてもゐないのです。ただ肌合のどこかにさういふところがありはせぬか
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