た一人である。我邦の劇がイブセン流に發展して行くだらうとは、とても思はれない。唯イブセンに就いて大に學ばねばならぬところが一つある。それは舞臺上の効果といふよりも、イブセンがその根本をしつかり握つてゐて、變に應じて妙手をうち出す劇構成のテクニクである。
イブセン物の上場が今後とも一般によろこばれるか否かは疑はしい。イブセンの抱懷する思想は暫く問はない。先づ以て困るのはあの一分の隙をも容れぬ理屈と皮肉とのやりとりである。本で讀む時にはもとよりそのつもりなので調子も取つてゆけるが、またその間に禪機の如きものゝ閃きをすら認め得るが、これを實際に舞臺上の對話として聽いてゐたのでは少しつらい。これは確にこちらの耳がよく馴らされてゐないせゐもあるだらう。
この試演の夕にこゝに集つた鑑賞家は東京に於ける教養の高い人々のみである。そのためにこの小劇場に過ぎぬ有樂座の内部も、座席といはず廊下といはず、濃やかな情趣に充ちた雰圍氣を釀し出して、我々をこの上なくよろこばせた。わたくしはこの事も忘れないでゐようと思ふ。
この次の出し物についてはいろいろの噂さ話がある。アンドレエフの物のうちで何か遣るといふ
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