へば第四幕目で、人々が戸口のところに立つてゐると、寒い空に橇の鈴の音が聞えてくる。その音を聞いて銘々が異つた感慨に沈む。その橇の鈴の音が脚本を讀んだ時からわたくしの胸に沁み込んでゐたので、特に氣をつけてゐたが、舞臺の上ではその部分が平々淡々の中に終つてしまつた。さういふ目拔きの場面が心行きが乏しいと云ふのか、兎まれ角まれ期待したほどの感銘を殘さずじまひになつたことは口惜しい。けれどもこれは實演が一般にむづかしいと刻印を押されてゐるイブセン物を始めて、我邦で出して見た試みに對しては、さう深く批難するにも當るまい。さういふ一部分の缺點は別として、大體から云へば、さほどのあらも見せず、イリユウジヨンをひどく破るといふこともなく、無事であつたことは何よりである。
 わたくしはこの試演を見て別に考へたことがある。さすがはイブセン物だけあつて、すべてが引緊つてゐて對話にも動作にも些しの厭味もなかつたが、それにしてもイブセンは隨分窮屈なものであることを、本を讀んだ時よりも強く感じた。イブセンが我邦の將來の劇にどれだけの感化を及ぼすかといふことになると、わたくしはいつも餘りにその浸潤を期待してゐなかつ
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