國造神壽詞から下は三河萬歳の言葉にいたるまで、それが詩の一貫した方式である。
 詩はカムヨゴトである。それ故に、慰めの言葉、をかしき言葉、乃至は狂言綺語であることが、詩の正道にはづれたものとは決しられない。またかく云ふことが詩を蔑むとも考へられない。
 ダンテはその一世一代の詩篇に標するにデイヴイナ・コメデイア(神聖喜曲)といふ題を置いた。これには傳承もあることであらうが、ダンテがこの曲を書いた意圖は、彼が言葉の最高の司祭者として、底知れぬ人生、即ち民族精神の綜合的現實世界の前にカムヨゴトを申したことより外には、これを尋ね難い。この意味に於て、この曲は神慮を測り、且つ慰むる狂言綺語の一類であつたと云つても、決してその偉大さは妨げられない。かの穢を祓ひ縁喜を祝ふたぐひの言葉とその系統に於て異るところがあらうとは見られないからである。そのやうなあやのある言葉を邦語でカムヨゴト(神壽詞)と云ふ。神曲のコメデイアにそつくり當はまる言葉である。
 ダンテのカムヨゴトには、その至誠にかまけて神憑りがしてゐるところがある。そしてその言葉がほとほと神託の域に達してゐる。ダンテは明日の夢、理想の幻影のた
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