生に變へたいのである。無常の宗教から蠱惑の藝術に徃きたいのである。

 僕は元來が他に向つて率直であり得ない性分である。それであるから、大膽に自己を語ると云ふことなど、到底出來さうにもない。多樣で、斑で、そして小心な「我」は不幸にも主義によつて一筋道に攝しられてゐない。一筋道ならば自己を語るに都合のよいことがあるかもしれない。或は舊我を屠る快手腕に出ることも出來よう。天體に於ける星座のやうに一つの軌道を護ることを知らない「我」は、南の枝、北の枝に、開き且つ落ちる花のやうなものである。見よ、幽靈さながらの「我」の日輪が北方の天に漂ひ、同時に蜉蝣の如き「我」の月輪が大地の裂罅からさし上る。それを今どうして説明が出來よう。人を恐れるからではなくて、「我」を恐れるからである。所詮は藝術の假面の下に「我」を置くばかりである。そしてあらゆる手段と方法とを以て、虚僞の網を張るばかりである。この虚僞の網の目から中を覗いて見て、そこにふと藝術的眞實の玉座を認めて、始めて驚く物數奇も定めて多くはないことであらう。大入場から舞臺を見物するやうな熱心な手合も少なからう。木偶が踊つてゐようが、雲霧が轉じてゐよう
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