、ムウアは藝術觀に於ても全く唯美派的で、「藝術は藝術のための藝術で、これは希臘の昔から今日に及んで變らぬものだ」と云ひ切り、作家は須くそのテムペラメントを發揮すべしと説いてゐる。從つてゾラに對しても、作物そのものは劣ると見做し、殊にゴンクウル兄弟に就て、こきおろしてゐる。
「ゴンクウル兄弟などは藝術家でない。藝術はそんな合名會社風に出來るものではない。一體日記をつけて、自分達の名を後世に殘さうと思ふことからして如何にもさもしい根性だ」と云つてゐる。
然しゾラ以前のバルザツクはひどく好きで、「勿論、バルザツクはシエエクスピイアよりもいゝ」と云つたので、英國人には餘り好まれなかつた。
繪畫の方では、マネエなどの、多少新味のあるうちにクラシツクの線のあらはれてゐるのが好きで、今日で謂ふところのモネエ以下の印象派には重きを置いてゐない。そして「モネエの畫は漆喰細工だ。亞米利加人向きだ」と云つてけなしつけてゐる。
ムウアはまた批評家が英吉利のウイスラアを印象派の中に入れてゐるのは大間違だと斷定して、「彼はクラシツクのクラシツクだ。形の完全と色の調和を求めることにおいては、希臘人よりももつと
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