デリケエトな考をもつてゐる」と云ひ、かの有名なノクタアンの畫についても「これは決して寫生で出來たものではない。彼の頭の中に初めからあつたものだ。要するにウイスラアはウイスラアの天稟を遺憾なく表現すればよいのだ」と説いてゐる。
 十年一日の如く、オペラの踊子と競馬の畫ばかり描いてゐるドガに關しても、世間では彼を印象派の中に數へてゐるが、これも大のクラシツクである、誤解であると云つて、盛んにその描法等を説明して細い議論をしてゐる。
 すべてがこんな風で、ムウアは如何にも奇矯な言を弄するやうに見えるけれども、もと/\畫の心得のある人であるから一概にその言を卻けるわけにもゆかない。詳しく見くらべたら、さう一口にマネエもドガもまたウイスラアも印象派の中に押籠めたくはないだらう。
 なほムウアは平民主義が甚だ嫌ひである。「あの蒼白い顏をした平民主義の基督が出てから世の中が駄目になつた」などと云つてゐる。文壇の平民主義に對しても快く思つてをらぬことは言ふまでもない。
[#地から2字上げ](談話筆記)



底本:「明治文學全集 99 明治文學囘顧録集(二)」筑摩書房
   1980(昭和55)年8月
前へ 次へ
全6ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング