ない。俗惡で、とても好い文章など書けさうもない氣がして、それで始めのうちは嫌ひでたまらなかつたさうである。その後ウオタア・ペエタアの文章を讀んで見て英文の面白味が會得され、それから外の文章も味ふことができるやうになつたと云つてゐる。
 ムウアは英國に歸つてから、大に評論の筆を執り、自然主義や象徴主義を論じ、マラルメの散文詩を飜譯したり、ランボオの才を稱へたり、ヒユイスマンスの文をステンドグラスのやうだなどと云つて紹介した。
 然しムウアは漸次自然主義には慊らなくなつて、見たまゝを書け、主觀を交へるなと云ふ自然主義に對する不滿を述べて、こんなことを云つてゐる。
「たとへばこゝに店飾があつて、そしてここに一の描寫が立派に出來てゐたとしても、その描寫の價値がどこにあるかと云へば、それは寧ろ店飾をした主人にあるのではないか」
 またこんなことも云つてゐる。
「若し自然主義が後の文學によい感化を與へたところがあるとすれば、即ち自然主義の齎らした効果を擧げるとすれば、それは描寫と云ふよりも、その文章である。語彙を豐富にし、精細にした點である。これだけは自然主義の効果と云つてよい」
 それであるから
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