透して暗示となるとき、そこに感覺の交徹による象徴主義が生れるのである。然しながらわたくしの言はうとしてゐる所は、象徴主義に就てその解説を試ることではなかつたはずである。端的にわたくしの本意を明すならば、わたくしの詩は「春鳥集」より「有明集」に至るまで、上に擧げた諸種の思想の影響を蒙つてゐたといふことを述べて置きたかつたまでゝある。わたくしの作詩の動機に就いては「有明詩集」自註に大略書いておいたのを見てもらひたい。概して※[#「りっしんべん+予」、281−上−3]情的動機は幾許も無く、そこには却て「非人情」が附き纒つてゐる。純情をきおふこの頃の若い方々にはかゝることも飽き足らぬ一つであらう。
わたくしの詩のごときは説明せよと要求せられても説明の仕樣のないものである。あらゆる思想の混亂であるとも云はれよう。然しその混亂にしても中心を得ればおのづから形をなすのである。その形をわたくしはいつも渦卷に喩へてゐる。卍字であり巴字である。生動の態がそこに備つてゐる。わたくしはさう信じて、これを純情風の直線式のものと對蹠的に觀てゐるのである。わたくしはこゝで純情的の詩風を貶すつもりは毛頭ない。ただど
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