丸に乘り込んだ時には、全くやれやれと蘇生の思ひをしたことである。
六
之を要するに、私は埃及へ二度と行き度いとは思はない。印度もセイロンの一角に足を印しただけであるが、更に深く内地へ這入つて佛跡を探らうと言ふ氣分は起らなかつた。恐らく此處も亦た埃及と同樣詩の國ではなからう。
埃及の私に善い印象を與へなかつた原因の一は、必しも氣候の故ではない。阿弗利加とは言へ二月の埃及は決して暑くはない。否なカイロでは冬服に薄い「シヤツ」では寒いこともあつた位である。又た蚊乃至南京蟲の如き惡蟲の故ばかりでは無い。それは支那に於いても略ぼ同樣であるに係らず、支那はなほ我々を惹付けるのであるから。
然らば埃及が我々――少くとも私に同情を起さしめなかつた原因は何處にあるかと言ふに、恐らく其の過去の殘骸、死に果てた文化の遺物ばかりが徒に偉大であつて、我々は其の壓迫を感ずることが多過ぎるにあると思ふ。而して又、中世はあつても古代と聯絡はなく、現代の埃及は、古い昔の廢址に築かれた「バラツク」に過ぎない感があり、其の間の「ギヤツプ」が大き過ぎるにあらうと思ふ。希臘の如きも、若干此の範疇に
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