が入《い》る、それを見《み》て廻《まは》るだけでも二日《ふつか》も三日《みつか》もかゝり、かへって不便《ふべん》になります。だから世界《せかい》のどの國《くに》でも、陳列物《ちんれつぶつ》の種類《しゆるい》によつて博物館《はくぶつかん》をわけてをります。それで大《おほ》きくわける場合《ばあひ》はたいてい前《まへ》に申《まを》した美術《びじゆつ》や歴史《れきし》に關《かん》するものを一《ひと》まとめにしたものと、博物學《はくぶつがく》に關《かん》するものを一《ひと》まとめにしたものとの二種類《にしゆるい》に區別《くべつ》するのでありまして、この二《ふた》つの博物館《はくぶつかん》がたいてい違《ちが》つた場所《ばしよ》につくられてをります。そのほか陳列品《ちんれつひん》を小《ちひ》さく區別《くべつ》した特別《とくべつ》の博物館《はくぶつかん》がたくさんあることは申《まを》すまでもありません。もちろん大《おほ》きな博物館《はくぶつかん》の建《た》て物《もの》は立派《りつぱ》であつて、その國《くに》や町《まち》の飾《かざ》り物《もの》としては結構《けつこう》でありますが、これを見物《けんぶつ》する人《ひと》や勉強《べんきよう》する人達《ひとたち》には不便《ふべん》が多《おほ》いのですから、それよりも小《こ》じんまりとした博物館《はくぶつかん》で、内容《ないよう》の整《とゝの》つたものゝ方《ほう》がよいといふことになるのであります。ちょうど皆《みな》さんの學校《がつこう》でも、あまり大《おほ》きい學校《がつこう》はかへって勉強《べんきよう》に不便《ふべん》のことがあるのと同《おな》じです。
(ロ) 博物館《はくぶつかん》の施設《しせつ》
[#「第三圖 奈良帝室博物館」のキャプション付きの図(fig18371_04.png)入る]
博物館《はくぶつかん》は、最初《さいしよ》にも申《まを》したとほり、たゞ珍《めづら》しいものや美《うつく》しいものをたくさんに竝《なら》べるといふところではなくて、それらがあるひは年代《ねんだい》の順《じゆん》に、あるひは地方《ちほう》の別《べつ》にといふふうに、品物《しなもの》を順序《じゆんじよ》よく系統《けいとう》を立《た》てゝ竝《なら》べ、これを見《み》る人《ひと》が知識《ちしき》を廣《ひろ》め學問《がくもん》をするために作《つく》られたものでありますから、博物館《はくぶつかん》の良《よ》い惡《わる》いといふことはその所《ところ》に竝《なら》べてあるものが多《おほ》いか、少《すくな》いとかいふことよりも、また珍《めづら》しいものがあるとかないとかいふよりも、その竝《なら》べ方《かた》が良《よ》く出來《でき》てゐるかゐないかといふのできまるのであります。だからいくら珍《めづら》しい品《しな》が多《おほ》く、また良《よ》いものがたくさんに竝《なら》べてあつても、その竝《なら》べ方《かた》に秩序《ちつじよ》がなくめちゃ/\であつたりしては、學問《がくもん》をするのにいっこう役《やく》に立《た》たないのであります。ほんとうに良《よ》い博物館《はくぶつかん》は今《いま》いつたとほり、品物《しなもの》の竝《なら》べ方《かた》が系統的《けいとうてき》に出來《でき》てゐる上《うへ》に、竝《なら》べてある品物《しなもの》の目録《もくろく》が完全《かんぜん》に作《つく》られてゐなければなりません。さうでないとわれ/\は博物館《はくぶつかん》で知識《ちしき》を廣《ひろ》め勉強《べんきよう》することが工合《ぐあひ》よくまゐりません。それで博物館《はくぶつかん》には、どうしても一《ひと》つ/\の品物《しなもの》の名前《なまへ》、その他《ほか》必要《ひつよう》の事柄《ことがら》を書《か》き記《しる》した目録《もくろく》が出版《しゆつぱん》せられなくてはならないのであつて、その目録《もくろく》の中《なか》には簡單《かんたん》な品物《しなもの》の説明《せつめい》と、必要《ひつよう》に應《おう》じて圖畫《ずが》のようなものも挿《さ》し入《い》れなければならぬのであります。世界《せかい》の各國《かつこく》にある大博物館《だいはくぶつかん》では、皆《みな》、さうした立派《りつぱ》な目録《もくろく》が出版《しゆつぱん》されてをりますから、博物館《はくぶつかん》に行《ゆ》く人《ひと》は、それらの目録《もくろく》を安《やす》く買《か》ふことが出來《でき》、その目録《もくろく》と竝《なら》べてある品物《しなもの》とを照《てら》し合《あは》せて、容易《たやす》く研究《けんきゆう》することが出來《でき》るのであります。
[#「第四圖 京城總督府博物館」のキャプション付きの図(fig18371_05.png)入る]
博物館《はくぶつかん》では、また目録書《もくろくしよ》のほかに、陳列品《ちんれつひん》について手輕《てがる》に知《し》ることが出來《でき》るために、いろ/\の書物《しよもつ》が出版《しゆつぱん》されてあつたり、繪葉書《えはがき》なども作《つく》られてあつて、見物人《けんぶつにん》が容易《たやす》くこれを買《か》ひ受《う》けて記念《きねん》にもし、また後日《こうじつ》の想《おも》ひ出《で》の緒《いとぐち》にもなるようになつてゐます。繪葉書《えはがき》より大《おほ》きな寫眞《しやしん》の必要《ひつよう》な人《ひと》には、その希望《きぼう》にまかせてそれ/″\の寫眞《しやしん》を賣《う》るようにもなつてゐるのです。更《さら》に博物館《はくぶつかん》では外《そと》より來《き》た見物人《けんぶつにん》や學者達《がくしやたち》に研究《けんきゆう》させるばかりでなく、博物館《はくぶつかん》にゐる人《ひと》自身《じしん》がその陳列品《ちんれつひん》を利用《りよう》して研究《けんきゆう》を重《かさ》ね、それに關《かん》する立派《りつぱ》な書物《しよもつ》をどし/\出版《しゆつぱん》してゐる例《れい》がたくさんにあります。かように目録《もくろく》やそれ以外《いがい》の書物《しよもつ》が出版《しゆつぱん》せられて、研究《けんきゆう》の結果《けつか》が發表《はつぴよう》されるようにならなければ、眞《しん》の博物館《はくぶつかん》の役目《やくめ》は達《たつ》せられないのであります。大《おほ》きい博物館《はくぶつかん》をつくることは金《かね》さへあれば容易《ようい》でありますが、良《よ》い博物館《はくぶつかん》をつくることは金以外《かねいがい》更《さら》に知識《ちしき》が必要《ひつよう》でありますから、餘程《よほど》困難《こんなん》なことになります。
[#「第五圖 旅順關東廳博物館」のキャプション付きの図(fig18371_06.png)入る]
また博物館《はくぶつかん》が學問《がくもん》をするのにいくらつごうよく出來《でき》てゐても、館内《かんない》の設備《せつび》がよく調《とゝの》はねばだめです。冬《ふゆ》の寒《さむ》い日《ひ》に暖房《だんぼう》がなかつたりしたら寒氣《かんき》のために落《お》ちついて勉強《べんきよう》することも出來《でき》ないのです。西洋《せいよう》の大《おほ》きな博物館《はくぶつかん》では、良《よ》い目録《もくろく》や良《よ》い研究書物《けんきゆうしよもつ》が出版《しゆつぱん》されてゐるばかりでなく、館内《かんない》の設備《せつび》も完全《かんぜん》に出來《でき》てゐて、愉快《ゆかい》に見物《けんぶつ》されるようになつてゐます。たいていの部屋《へや》には氣持《きも》ちのよい長椅子《ながいす》が置《お》いてあつて、見物人《けんぶつにん》はゆっくりと腰《こし》を下《おろ》して美《うつく》しい繪《え》を見《み》たり、彫刻《ちようこく》をたのしんで眺《なが》めたりすることが出來《でき》、また暖房《だんぼう》のあるために冬《ふゆ》の日《ひ》も館内《かんない》は春《はる》のように暖《あたゝか》く過《すご》すことが出來《でき》ます。そしてたいていの博物館《はくぶつかん》の地下室《ちかしつ》には便利《べんり》な食堂《しよくどう》、かふぇー[#「かふぇー」に傍点]などが設《まう》けられ、食事《しよくじ》もできるし、お茶《ちや》も飮《の》めるしといふようになつてゐますから、戸外運動《こがいうんどう》をしない人々《ひと/″\》は、日曜日《にちようび》には教會《きようかい》から博物館《はくぶつかん》へ來《き》て一日《いちにち》を愉快《ゆかい》に暮《くら》すのであります。日本《につぽん》においても將來《しようらい》設《まう》けられる博物館《はくぶつかん》は、かうした設備《せつび》を整《とゝの》へる必要《ひつよう》があると思《おも》ひます。さうでないと樂《たの》しんで博物館《はくぶつかん》に行《ゆ》く人《ひと》もなく、博物館《はくぶつかん》は學校《がつこう》の教室《きようしつ》よりも、一《いつ》そう無趣味《むしゆみ》のところになつてしまひませう。
[#改ページ]
二、世界各國《せかいかつこく》の大博物館《だいはくぶつかん》
(イ) イギリスの大博物館《だいはくぶつかん》[#「大博物館」は目次では「博物館」]
わが國《くに》では、學校《がつこう》は大都會《だいとかい》はもとより田舍《ゐなか》の町《まち》や村《むら》にも立派《りつぱ》なのがたくさんにあつて、日本《につぽん》ほど學校《がつこう》のよく整《とゝの》つた國《くに》は世界中《せかいじゆう》にも少《すくな》いといはれてをりますが、これに反《はん》して學校《がつこう》の名《な》はなくても、學校《がつこう》と同《おな》じ役目《やくめ》をする博物館《はくぶつかん》は實《じつ》に貧弱《ひんじやく》であつて、わづかに東京《とうきよう》、京都《きようと》、奈良《なら》の三箇所《さんがしよ》に美術博物館《びじゆつはくぶつかん》がある外《ほか》、これといふものもないのは甚《はなは》だ殘念《ざんねん》です。これは日本人《につぽんじん》がまだ學問《がくもん》をするには學校《がつこう》だけで十分《じゆうぶん》であるといふような、間違《まちが》つた考《かんが》へを持《も》つてゐることから來《き》たものでありませうが、今後《こんご》は學校以外《がつこういがい》に、圖書館《としよかん》や博物館《はくぶつかん》が學校同樣《がつこうどうよう》に日本國中《につぽんこくじゆう》到《いた》る處《ところ》に出來《でき》て、學校《がつこう》において先生《せんせい》から學問《がくもん》を教《をそ》はりながら、また學校《がつこう》を出《で》てから皆《みな》さんが自分《じぶん》で圖書館《としよかん》や博物館《はくぶつかん》へ行《い》つて、學問《がくもん》をやるようにならなければいけないと思《おも》ひます。
[#「第六圖 ロンドン大英博物館」のキャプション付きの図(fig18371_07.png)入る]
現在《げんざい》わが國《くに》にある博物館《はくぶつかん》はその數《すう》が少《すくな》いばかりでなく、殘念《ざんねん》ながら世界《せかい》に押《お》し出《だ》して優《すぐ》れた博物館《はくぶつかん》とは申《まを》すことが出來《でき》ません。そこで世界《せかい》で指折《ゆびを》りの博物館《はくぶつかん》といへば、どうしても西洋《せいよう》にあるのを擧《あ》げなければならないのです。しかし、どの國《くに》の博物館《はくぶつかん》が最《もつと》も良《よ》いかといふようなことは、容易《ようい》に斷言《だんげん》するわけにはまゐりません。各々《おの/\》博物館《はくぶつかん》にはそれ/″\の特色《とくしよく》があり、建《た》て物《もの》がわりあひに粗末《そまつ》でも、陳列品《ちんれつひん》に優《すぐ》れたものが多《おほ》いとか、陳列《ちんれつ》の方法《ほう/\》が良《よ》いとか、いろ/\の事情《じじよう》があつて、博物館《はくぶつかん》の優劣《ゆうれつ》をきめることは餘程《よほど》困難《こんなん》ですが、なん
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