立派《りつぱ》な繪《え》が描《か》いてあります。その繪《え》は優《すぐ》れた支那風《しなふう》の繪《え》でありまして、ちょうど支那《しな》の六朝頃《りくちようごろ》の畫風《がふう》を示《しめ》してをります。これは實《じつ》に日本《につぽん》の法隆寺《ほうりゆうじ》の金堂《こんどう》の繪畫《かいが》にも比《くら》ぶべき、立派《りつぱ》な古《ふる》い繪《え》の遺《のこ》りものであります。(第八十二圖《だいはちじゆうにず》)
[#「第八十二圖 朝鮮高句麗[#「朝鮮高句麗」は底本では「朝鮮高勾麗」]」のキャプション付きの図(fig18371_83.png)入る]
さて鴨緑江《おうりよつこう》をわたり北《きた》の方《ほう》へ行《ゆ》きますと、支那《しな》の領地《りようち》の南滿洲《みなみまんしゆう》でありますが、こゝは日清戰爭《につしんせんそう》、日露戰爭《にちろせんそう》などがあつて以來《いらい》、日本《につぽん》と縁《えん》の深《ふか》い土地《とち》であります。南滿洲《みなみまんしゆう》には、やはり石器時代頃《せつきじだいころ》からすでに人間《にんげん》が住《す》んでをりましたが、周《しゆ
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