の墓《はか》から遠《とほ》くない所《ところ》にその王樣《おうさま》のことを記《しる》した自然石《しぜんせき》の大《おほ》きな碑《ひ》が立《た》つてをります。それを讀《よ》むと、日本人《につぽんじん》が朝鮮《ちようせん》へ攻《せ》めて行《い》つたことが記《しる》されてありますが、多分《たぶん》神功皇后《じんぐうこう/″\》の[#「神功皇后《じんぐうこう/″\》の」は底本では「神后皇后《じんぐうこう/″\》の」]三韓征伐《さんかんせいばつ》のときのことなどが書《か》いてあるように思《おも》はれます。この將軍塚《しようぐんづか》や碑《ひ》のあるところは鴨緑江《おうりよつこう》の北《きた》で、今日《こんにち》では支那《しな》の領地《りようち》となつてゐます。高句麗《こうくり》は、その後《ご》この北《きた》の方《ほう》から都《みやこ》を平壤《へいじよう》に移《うつ》しましたので、その後《ご》の古墳《こふん》は平壤《へいじよう》の西《にし》の方《ほう》にたくさんあります。それらの墓《はか》の中《なか》には大《おほ》きな石室《せきしつ》がありまして、室内《しつない》には實《じつ》に驚《おどろ》くほど
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