み》に至《いた》つてはほとんどまったく發見《はつけん》せられないのです。王樣《おうさま》の墓《はか》と思《おも》はれる立派《りつぱ》な墓《はか》でも、鏡《かゞみ》は一枚《いちまい》も掘《ほ》り出《だ》されないのは、實《じつ》に奇妙《きみよう》に思《おも》はれますが、まさか新羅《しらぎ》の人《ひと》でも鏡《かゞみ》を使《つか》はず、お化粧《けしよう》をしなかつたとは思《おも》はれませんので、鏡《かゞみ》は用《もち》ひてゐたけれども、死人《しにん》の棺《かん》の中《なか》に、何《なに》かの理由《りゆう》で入《い》れなかつたものと考《かんが》へられます。しかし次《つ》ぎの高麗《かうらい》といふ時代《じだい》の墓《はか》からは鏡《かゞみ》がたくさん出《で》ます。とにかく鏡《かゞみ》は昔《むかし》支那《しな》でも顏《かほ》を寫《うつ》すばかりのものではなく、これを持《も》つてゐると、惡魔《あくま》を除《よ》けるといふような考《かんが》へがあつたので、墓《はか》に收《をさ》めたのもさういふ意味《いみ》があつたかも知《し》れないのです。かように新羅《しらぎ》の人《ひと》は鏡《かゞみ》を使《つか》つた
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