ぱいしや》は誰《たれ》でもその威嚴《いげん》に打《う》たれるのであります。(第六十三圖《だいろくじゆうさんず》)
[#「第六十三圖 仁徳天皇百舌鳥耳原中陵」のキャプション付きの図(fig18371_64.png)入る]
仁徳天皇《にんとくてんのう》の御陵《ごりよう》と、應神天皇《おうじんてんのう》の御陵《ごりよう》とは、その大《おほ》きさが優《すぐ》れてゐるばかりでなく、歴史上《れきしじよう》から見《み》ても最《もつと》もたしかなもので、これが標準《ひようじゆん》になつてわれ/\は、その頃《ころ》日本《につぽん》に前方後圓《ぜんぽうこうえん》の塚《つか》が盛《さか》んに行《おこな》はれ、そして埴輪《はにわ》が飾《かざ》られてをつたことなどを知《し》ることが出來《でき》るのであります。それゆゑ考古學《こうこがく》の上《うへ》からも最《もつと》も貴重《きちよう》な御陵《ごりよう》と申《まを》さなければなりません。
それから六七代《ろくしちだい》の間《あひだ》、かの佛教《ぶつきよう》が日本《につぽん》にはひつて來《き》た時分《じぶん》、敏達天皇頃《びだつてんのうころ》[#ルビの「びだつて
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