ふきん》に御陵《ごりよう》が設《まう》けられることになりました。ところがこの應神《おうじん》、仁徳兩天皇《にんとくりようてんのう》の御陵《ごりよう》は、日本《につぽん》の御陵中《ごりようちゆう》でも一番《いちばん》大《おほ》きい立派《りつぱ》な前方後圓《ぜんぽうこうえん》の塚《つか》と申《まを》すべきで、なかにも仁徳天皇《にんとくてんのう》の御陵《ごりよう》の周圍《しゆうい》は約半里《やくはんり》くらゐもあり、世界中《せかいじゆう》にかような大《おほ》きな古墳《こふん》は、エヂプトのぴらみっと[#「ぴらみっと」に傍点]を除《のぞ》いてはあまりないかと思《おも》はれます。そしてこの御陵《ごりよう》のごときは、二重《ふたへ》に堀《ほり》をめぐらし、その周圍《しゆうい》には陪塚《ばいちよう》といつて臣下《しんか》の人《ひと》だちの墓《はか》がたくさん竝《なら》んでをります。遠《とほ》くから見《み》ますと小山《こやま》のようであり、近《ちか》くに行《ゆ》きますと大《おほ》きな松《まつ》の木《き》が御陵《ごりよう》のまはりに生《は》え茂《しげ》つて實《じつ》に神々《かう/″\》しく、參拜者《さん
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