つく》られたものでありますから、博物館《はくぶつかん》の良《よ》い惡《わる》いといふことはその所《ところ》に竝《なら》べてあるものが多《おほ》いか、少《すくな》いとかいふことよりも、また珍《めづら》しいものがあるとかないとかいふよりも、その竝《なら》べ方《かた》が良《よ》く出來《でき》てゐるかゐないかといふのできまるのであります。だからいくら珍《めづら》しい品《しな》が多《おほ》く、また良《よ》いものがたくさんに竝《なら》べてあつても、その竝《なら》べ方《かた》に秩序《ちつじよ》がなくめちゃ/\であつたりしては、學問《がくもん》をするのにいっこう役《やく》に立《た》たないのであります。ほんとうに良《よ》い博物館《はくぶつかん》は今《いま》いつたとほり、品物《しなもの》の竝《なら》べ方《かた》が系統的《けいとうてき》に出來《でき》てゐる上《うへ》に、竝《なら》べてある品物《しなもの》の目録《もくろく》が完全《かんぜん》に作《つく》られてゐなければなりません。さうでないとわれ/\は博物館《はくぶつかん》で知識《ちしき》を廣《ひろ》め勉強《べんきよう》することが工合《ぐあひ》よくまゐりません
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