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新石器時代《しんせつきじだい》の人間《にんげん》は、またあるところでは湖水《こすい》の中《なか》に棒杙《ぼうぐひ》を打《う》つてその上《うへ》に小屋《こや》を設《まう》けて棲《す》んでゐました。そしてその小屋《こや》が多《おほ》く集《あつ》まつて一《ひと》つの村落《そんらく》をつくつてゐました。これを湖上住居《こじようじゆうきよ》、あるひは杙上住居《くひじようじゆうきよ》と申《まを》します。イタリイの北部《ほくぶ》やスヰスあたりに多《おほ》くこの遺跡《いせき》があります。それはちょうど今日《こんにち》ボルネオのパプア人《じん》やシンガポールあたりの海岸《かいがん》で見《み》かけるのと同樣《どうよう》、陸地《りくち》との交通《こうつう》はたいてい小舟《こぶね》に乘《の》つたものです。(第二十七圖《だいにじゆうしちず》)なぜこんな所《ところ》に住《す》むのでせうか。それには種々《しゆ/″\》の理由《りゆう》があるでせうが、その一《ひと》つは敵《てき》の襲撃《しゆうげき》を免《のが》れ、猛獸《もうじゆう》の害《がい》を避《さ》けるためであつたでせう。また陸上《りくじよう》の家《いへ》に住《す》んで、穢《きたな》い塵埃《じんあい》をあたりにすてると不潔《ふけつ》なばかりでなく、いろ/\の病氣《びようき》に罹《かゝ》ることを實驗《じつけん》して、不潔物《ふけつぶつ》を水《みづ》にすて清潔《せいけつ》な生活《せいかつ》をするといふ意味《いみ》もあつたかと思《おも》はれます。もちろんこの小屋《こや》は燒《や》けたり壞《こわ》れたりして、今日《こんにち》まったく殘《のこ》つてをりませんが、その土臺《どだい》の杙《くひ》だけが水《みづ》の中《なか》に遺《のこ》つてゐるのです。今《いま》から數十年前《すうじゆうねんぜん》のある年《とし》、スヰスの國《くに》のチュウリッヒ湖《こ》の水《みづ》が今《いま》までになく減《へ》つて底《そこ》が現《あらは》れました。その底《そこ》に棒杙《ぼうぐひ》が一萬本《いちまんぼん》もにょき/\と立《た》つてゐるのをケラーといふ學者《がくしや》が發見《はつけん》しまして、だん/″\研究《けんきゆう》した結果《けつか》、これが昔《むかし》の人《ひと》の湖上住居《こじようじゆうきよ》の跡《あと》であることがわかりました。その證據《しようこ》に
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