》海岸《かいがん》に棲《す》んだ人間《にんげん》の住居《じゆうきよ》の傍《そば》に出來《でき》た塵埃《じんあい》すて場《ば》であります。ですから何《なに》しろ海岸《かいがん》に近《ちか》い場所《ばしよ》にあつたに相違《そうい》ありませんが、今日《こんにち》では海岸《かいがん》から遠《とほ》く、時《とき》には數里《すうり》も離《はな》れた所《ところ》にあることがあります。これはその後《ご》陸地《りくち》が隆起《りゆうき》し、海《うみ》がひいてしまつたのです。またその反對《はんたい》にデンマルクなどのように、海《うみ》が陸地《りくち》ををかして來《き》たので、今日《こんにち》では海中《かいちゆう》に貝塚《かひづか》が浸《ひた》つてゐるところもあります。
この貝塚《かひづか》を始《はじ》めて研究《けんきゆう》した人《ひと》は、デンマルクの學者《がくしや》でありました。最初《さいしよ》は、たくさんの貝殼《かひがら》は、果《はた》して昔《むかし》の人《ひと》がその肉《にく》を食《く》つてすてたものか、どうかゞ疑問《ぎもん》とせられたのでありましたが、ある學者《がくしや》が綿密《めんみつ》に調査《ちようさ》した結果《けつか》、すてゝあるそれらの貝殼《かひがら》は、みな成熟《せいじゆく》した貝《かひ》ばかりで、未成熟《みせいじゆく》のものがなく、また二枚貝《にまいがひ》の一方《いつぽう》だけのものが多《おほ》いことなどがわかりました。もしも自然《しぜん》に貝殼《かひがら》がつもつたものとすれば、そのうちには、きっと食《た》べられない幼《をさ》ない貝《かひ》も交《まじ》つてゐなければならないはずだのに、大《おほ》きい熟《じゆく》した貝《かひ》ばかりであり、また貝殼《かひがら》の一方《いつぽう》しかないといふことは、自然《しぜん》にたまつたものでなく、昔《むかし》の人《ひと》が食《く》つて殼《から》をすてたものであるといふほかはないのです。なほこの貝塚《かひづか》は、ヨーロッパの海岸地方《かいがんちほう》ばかりでなく、アメリカその他《た》世界各國《せかいかつこく》にあります。日本《につぽん》にも多《おほ》くありますが、日本《につぽん》の貝塚《かひづか》については、後《のち》にお話《はな》しいたしませう。
[#「第二十七圖 現代水上住居」のキャプション付きの図(fig18371_28
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