でぱーとめんと」に傍点]・すとあー[#「すとあー」に傍点]と違《ちが》つてゐるところだと思《おも》ふ人《ひと》があるかも知《し》れません。またそれらの店《みせ》よりも面白《おもしろ》いものや綺麗《きれい》な物《もの》が少《すくな》いところだといふ人《ひと》があるかも知《し》れません。しかし博物館《はくぶつかん》とでぱーとめんと[#「でぱーとめんと」に傍点]・すとあー[#「すとあー」に傍点]との違《ちが》ひは、けっしてそのような點《てん》ばかりではないのです。でぱーとめんと[#「でぱーとめんと」に傍点]・すとあー[#「すとあー」に傍点]ではお客《きやく》の眼《め》を惹《ひ》くように、美《うつく》しいものや珍《めづら》しいものを、たいてい、なんの秩序《ちつじよ》もなく竝《なら》べ立《た》てゝありますが、博物館《はくぶつかん》の陳列品《ちんれつひん》は皆《みな》、種類《しゆるい》をわけ順序《じゆんじよ》をつけ、その品物《しなもの》には一々《いち/\》わかるような説明《せつめい》をつけて、それを見《み》て廻《まは》るうちに自然《しぜん》に學問《がくもん》が出來《でき》るようにしてあるのです。それで博物館《はくぶつかん》は品物《しなもの》を買《か》ひに行《ゆ》くところでもなく、また遊《あそ》びに行《ゆ》くところでもありません。皆《みな》さんの學校《がつこう》と同《おな》じように勉強《べんきよう》をしたり、學問《がくもん》をする場所《ばしよ》なのです。もっとも學校《がつこう》と違《ちが》ふところは、博物館《はくぶつかん》には先生《せんせい》がをられません。また時間《じかん》も一時間《いちじかん》づゝきまつて勉強《べんきよう》するようには出來《でき》てをりませんから、誰《たれ》でも博物館《はくぶつかん》に行《い》つた人《ひと》は、自由《じゆう》に勉強《べんきよう》が出來《でき》、時間《じかん》にしばられるといふ窮屈《きゆうくつ》な思《おも》ひはありません。けれども、先生《せんせい》のように親切《しんせつ》に教《をし》へて下《くだ》さる人《ひと》はなく、休《やす》みの時間《じかん》にお友達《ともだち》と面白《おもしろ》く遊《あそ》ぶことが出來《でき》ないから、時《とき》には退屈《たいくつ》することもありませう。
[#「第一圖 東京帝室博物館」のキャプション付きの図(fig18371
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