》を飾《かざ》りにつけてあり、唐草瓦《からくさがはら》にも蔓草《つるくさ》の模樣《もよう》などがつけてあります。その蓮華《れんげ》の模樣《もよう》も中央《ちゆうおう》の實《み》の方《ほう》が非常《ひじよう》に大《おほ》きい形《かたち》のものもあり、花瓣《かべん》の恰好《かつこう》も大《たい》そう美《うつく》しく、蔓草《つるくさ》の形《かたち》も非常《ひじよう》によく出來《でき》、その彫《ほ》りかたも強《つよ》く立派《りつぱ》であります。また瓦《かはら》は一體《いつたい》に大《たい》へん大《おほ》きく、今日《こんにち》の瓦《かはら》の二倍《にばい》くらゐもあります。またその竝《なら》べ方《かた》も今日《こんにち》とは少《すこ》し違《ちが》つてをりました。聖徳太子《しようとくたいし》の時代《じだい》(飛鳥時代《あすかじだい》といひます)に用《もち》ひられた、かういふ立派《りつぱ》な瓦《かはら》も、だん/\時代《じだい》をふるに從《したが》つて粗末《そまつ》となり、聖武天皇《しようむてんのう》の頃《ころ》(奈良時代《ならじだい》あるひは天平時代《てんぴようじだい》といふ)を過《す》ぎては、模樣《もよう》は拙《まづ》く意匠《いしよう》のまづいものになつてしまつたのは、不思議《ふしぎ》なことであります。それは、かような大《おほ》きい瓦《かはら》は屋根《やね》を葺《ふ》くには重《おも》すぎるので、後《のち》には輕《かる》い瓦《かはら》を作《つく》るようになつたことゝ、瓦師《かはらし》もなるだけ安《やす》いものをたくさんに造《つく》らうとしたので、惡《わる》いものが出來《でき》て來《き》たものでいたしかたがありません。私共《わたしども》はこの瓦《かはら》の形《かたち》と模樣《もよう》が、時代々々《じだい/\》に異《こと》なつてゐるのを見《み》て、その建築《けんちく》が、いつの時代《じだい》のものであるかといふことがわかるので、美術《びじゆつ》や歴史《れきし》の上《うへ》から見《み》て非常《ひじよう》にためになることでありますが、そのお話《はなし》をするとあまり長《なが》くなりますから、今《いま》はやめて置《お》きます。また別《べつ》の先生方《せんせいがた》からお聞《き》きになる場合《ばあひ》がありませう。なほ古《ふる》いお寺《てら》のあつたところには、瓦《かはら》のほかに大《おほ
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