》へによりますと、垂仁天皇《すいにんてんのう》の時《とき》に、天皇《てんのう》の御弟倭彦命《おんおとうとやまとひこのみこと》が薨去《こうきよ》になつた際《さい》、その頃《ころ》貴人《きじん》が死《し》ぬと、家臣《かしん》などが殉死《じゆんし》といつて、お伴《とも》に死《し》ぬ習慣《しゆうかん》がありましたので、多《おほ》くの家臣《かしん》が命《みこと》のお伴《とも》をして生《い》きながら墓場《はかば》に埋《うづ》められました。ところがなか/\死《し》に切《き》れないので、その悲《かな》しい泣《な》き聲《ごゑ》が、天皇《てんのう》の御殿《ごてん》にまで聞《きこ》えて來《き》ました。それで、天皇《てんのう》は殉死《じゆんし》の風俗《ふうぞく》は甚《はなは》だ人情《にんじよう》にそむいた殘酷《ざんこく》なことであるから、これはどうしてもやめなければならぬとお考《かんが》へになりました。その後《ご》數年《すうねん》を經《へ》て、皇后日葉酢媛命《こうごうひはすひめのみこと》が御崩御《ごほうぎよ》になりました時《とき》に、野見宿禰《のみのすくね》といふ者《もの》がありまして、天皇《てんのう》に今後《こんご》は土《つち》でもつて人間《にんげん》の像《ぞう》を作《つく》り、それを人間《にんげん》の代《かは》りに埋《うづ》めましたならば、古《ふる》くから傳《つた》はつてゐる風俗《ふうぞく》をも保存《ほぞん》し、また人間《にんげん》を生《い》き埋《うづ》めにするような、可愛《かわい》そうなことをなくすることが出來《でき》ると思《おも》ひますと申《まを》し上《あ》げましたので、天皇《てんのう》は、それは眞《まこと》によい思《おも》ひつきであると御賞《おほ》めになつて、それからは土《つち》で作《つく》つた人間《にんげん》などの像《ぞう》を墓《はか》の側《そば》に埋《うづ》めることになつたのだといふことです。元來《がんらい》墓《はか》の周圍《しゆうい》に、一《ひと》つは土《つち》が崩《くづ》れないように、もう一《ひと》つは飾《かざ》りのために、土《つち》で作《つく》つた筒形《つゝがた》の陶器《とうき》を竝《なら》べて埋《うづ》めるといふことは、その以前《いぜん》からもあつたように思《おも》はれますから、この野見宿禰《のみのすくね》のような人《ひと》は、支那《しな》で行《おこな》はれた石《いし
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