ん》や漢《かん》の時代《じだい》から天子《てんし》の墓《はか》などにあつたもので、それを日本《につぽん》が支那《しな》と交通《こうつう》を始《はじ》めてから後《のち》にまねたものが多《おほ》いようであります。そして天皇《てんのう》の御陵《ごりよう》などにこの四角《しかく》の形《かたち》のお墓《はか》が造《つく》られるようになりました。それですから日本《につぽん》の古《ふる》い墓《はか》の形《かたち》は、まづ圓《まる》いのと四角《しかく》なのと、前方後圓《ぜんぽうこうえん》なのとの三通《みとほ》りといふことが出來《でき》ます。その中《うち》最《もつと》も古《ふる》くからあつたのは圓塚《まるづか》、その次《つ》ぎに出來《でき》たのが前方後圓《ぜんぽうこうえん》、それから最後《さいご》に流行《りゆうこう》して來《き》たのは四角塚《しかくづか》でありますが、この前方後圓《ぜんぽうこうえん》と四角《しかく》な形《かたち》はやがて廢《すた》れてしまつて、奈良朝時代《ならちようじだい》からは、普通《ふつう》の圓塚《まるづか》が專《もつぱ》ら行《おこな》はれるようになりました。
さて今《いま》申《まを》したいろ/\の形《かたち》の古墳《こふん》は、今日《こんにち》遺《のこ》つてゐるものには、たいてい松《まつ》の木《き》や他《た》の樹木《じゆもく》が生《は》え繁《しげ》つて、遠方《えんぽう》から眺《なが》めると、こんもりした森《もり》のように見《み》えるのですが、昔《むかし》はそんなに樹木《じゆもく》が生《は》えてゐたわけでなく、たいていそれらの塚《つか》の上《うへ》には、圓《まる》い磧石《かはらいし》を載《の》せて、全體《ぜんたい》を蔽《おほ》うてをつたものでありました。ちょうど今日《こんにち》、明治天皇《めいじてんのう》や大正天皇《たいしようてんのう》の御陵《ごりよう》において拜《をが》めるように、樹木《じゆもく》が生《は》えないようにしてあつたのです。それが年月《としつき》を經《へ》るに從《したが》つて石《いし》が崩《くづ》れたり、その中《なか》に木《き》の種《たね》が落《お》ちて芽《め》を出《だ》したりして、塚《つか》の上《うへ》に樹木《じゆもく》が茂《しげ》つて來《き》たのであります。もっとも墓《はか》の周圍《しゆうい》などには、昔《むかし》はおまゐりする時《とき》に、お
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