》の形《かたち》にも似《に》てゐますので、罐子塚《かんすづか》だとか、茶臼塚《ちやうすづか》とか、車塚《くるまづか》だとか、いろ/\の名《な》がついてをりますが、私共《わたしども》は前方後圓《ぜんぽうこうえん》の塚《つか》と呼《よ》んでをります。それは前《まへ》が四角《しかく》で後《うしろ》が圓《まる》いといふ意味《いみ》であります。この塚《つか》の模型《もけい》は特《とく》に置《お》いてありますから、それを御覽《ごらん》になるとよくわかります。またその後《うしろ》の圓《まる》いところと、前《まへ》の四角《しかく》なところとのつなぎめのところの兩側《りようがは》に、小《ちひ》さい圓《まる》い丘《をか》がついてゐることがあります。それがいかにも車《くるま》の兩輪《りようりん》に似《に》てゐますから、昔《むかし》の人《ひと》が車塚《くるまづか》といつたのは面白《おもしろ》い見《み》かただと思《おも》ひます。もっともこの形《かたち》の古墳《こふん》は、昔《むかし》でも偉《えら》い人《ひと》を葬《はうむ》るために造《つく》つたものでありまして、天皇樣《てんのうさま》だとか、皇族《こうぞく》の方々《かた/″\》の御墓《おはか》に多《おほ》く用《もち》ひたのでありまして、下々《しも/″\》のものはやはり、圓《まる》い塚《つか》を用《もち》ひたのであります。その大《おほ》きいものになりますと、周圍《しゆうい》が十町以上《じつちよういじよう》のものもあり、外側《そとがは》に、たいてい堀《ほり》をめぐらしてあります。この形《かたち》の塚《つか》は日本《にほん》に近《ちか》い朝鮮《ちようせん》や支那《しな》においても、けっして見《み》ることの出來《でき》ない、實《じつ》に日本獨特《につぽんどくとく》のものといつてよろしい。しかし、どうしてかような形《かたち》の塚《つか》が出來《でき》たかといふことについては、種々《しゆ/″\》議論《ぎろん》もありますが、どうもはつきりはわかりません。(第五十一圖《だいごじゆういちず》下《した》)
 また一方《いつぽう》には古《ふる》くからある圓《まる》い塚《つか》から、だん/\變化《へんか》して四角《しかく》な形《かたち》の古墳《こふん》も出來《でき》て來《き》ましたが、この四角《しかく》の形《かたち》の塚《つか》は、支那《しな》では古《ふる》く秦《し
前へ 次へ
全145ページ中93ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
浜田 青陵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング